Overslept.

写真と自転車と山とかサッカー

200320

渋谷、club asiaへ。

コロナウイルス云々で行動記録をつけておけ、不要な外出は避けろ、マスクはなんとかしろという弊社上層部のお達しにもそろそろ嫌気がさしてきて、久々に遊びに行こうと思った。

 

と言っても行くというのは前から決めていたことなので、特段構えず祝日の金曜日を過ごし電車に乗る。前飲みしたりしないと、どうしてもイベントにオープン直後から行くめちゃくちゃ楽しみな人になってしまう。

 

渋谷は休みの夜だというのに、いやに人が少なかった。先日、新宿でも感じたが本当に歩いている人がいない。飲食店はそれなりに人が入ってたりするところを見ると、くるやつは変わらず来るし距離があったりハードル高かったり、普段気合い入れてくるような層が来ていないのではないか、ということを思ったりした。

 

ドアを開けてエントリー払って、バーカンの前にスーさんとアリムラさんがいるので声を掛けに行く。ゼロではないがやっぱり人は少ない、多少戻ってきてはいるしキャッシュ回らなくなる恐れもあるのでイベントをやるしかないのだというニュアンスの話をした。それはそうだろう。どう考えてもイベント、ライブハウスを運営する人たちや出演することによって食っている人たちは”やるしかない”状態なんだろうと思う。結局、店やオーガナイザー側の対策なんてたかが知れているので来てくれる人の良識を信じて普段通りをやっていくしかない。そのためにも、行ける範囲で行き、遊べる範囲でお金を落としてくるのが自分にできることなのではないかと思ったりした。自分の体調、同居人や濃厚接触者たり得る人たちの体調、渡航の有無や感染が拡大している地域からの人との接触の可能性、いろいろなことを天秤にかける必要はある。それでも行きたいと思うなら行くべきだし、できるだけ普段通りのことをする、ということを少なくとも自分は続けていきたいと思った。

 

ひさしぶりな気がする明け方のラーメン王で、昨夜死んだことになっている某ワニの話をつらつらとした。これを書いている日曜日ですら色々言っている人の言葉がTwitterに流れてくるけど、結局、分断なのだ。慮ることを忘れてしまうと人は攻撃的になってしまいしかもその分断を取り戻せる状況になくなってしまうのではないか、と思った。

 

lo-fi hiphop問題もそうだけど、サブカル層は「俺たちのもの」感が一気に失われることに対してとても敏感かつ敵意をむき出しにしてしまう印象がある。バランスをとりながら大きくなっていくことはとても難しくて、最近それがうまくいってそうなのはchelmicoとかSIRUP、向井太一らへんしか思い浮かばないけどそもそもあの辺りは「俺たちのもの」枠ではなかったりするのかなと感じることもある。例えば自分が好きなものでめちゃくちゃメジャーになって嫌なものはあるか?と聞かれたときにパッと思いつくものはそんなに多くないけど、そうであっても好きなものは好きであれるようにしたい。まあ今回のワニは情緒とお気持ちの問題だけど。