Overslept.

写真と自転車と山とかサッカー

200413

26歳最後の日は爆弾低気圧に関東が襲われ、大雨だった。

 

土日とも人とずっと喋っていたのであまり家にいた感覚がない。これも慣れると危ないなと思っていたところ、会社で俺は自粛してねえぜみたいな話を聞いて気持ちが地に落ちてしまった。我々はインターネットの外に出なければいけないのかもしれない。

 

帰り際スーパーに買い物に行きたいなと思っていたけれど、あまりにも雨風が酷いので大人しく家にまっすぐ帰る。いつもならもう少し散らかっている部屋は、ずっと家にいるせいか幾分整っている。低気圧のせいか、冒頭の話のせいか気分は戻らず、少しNujabesとSingo02のmixを聴いて無音の部屋に戻す。雨音と、自分が起こす衣擦れの音くらいしか聞こえない部屋になる。

 

0320の日記を少し見返して、自己嫌悪に陥る。あの頃は自分も考えが甘かった、と思うし過ぎたことだ、とも思う。もう少し楽観的に生きたいなと思うことはあるけれど、一人になったときにネガティブに振ってしまうのは思考面では嫌いではない。

 

家にいることが多くなったせいか、服を欲しかったはずなのにアナログシンセを買ってしまったりDJコントローラを新調(と言っても古いものを譲り受けた)してしまったり余計なものを買ってしまった。今はcontaxT2が無性に欲しい。自分へのプレゼントとして買ってしまうべきか、いや落ち着けと思う部分もあり、もう少し悩むことにする。

都内に足を運ばなくなり、音楽イベントにお金を落とさなくなったが、交通費も含め浮いたはずのお金は各所へのクラファンや投げ銭で消えていった。こういうときにあまり難しく考えるのはやめて手の届くところから、と思って最初は投げていたけどだんだんとあれもこれもとなってしまい、若干の疲れがある。毎週のように開催される配信イベントも、家での時間を奪われるようでなかなか難しいものがある(じゃあ観るな、という話ではある。あるのだが。)


Polymerization mechanism: Roland MC 303 demo #3 groovebox ambient chill electro jam

 

自分をコントロールする、ということがうまくいっていただろうか。

sho0414.hatenablog.com

読み返してみたが、全く成長していない。言ってることは変わってないし行動も大して伴わないまま歳を重ねそうだ。両親が結婚し、自分を産んだ歳になると考えるととても感慨深いが、同時に怖くなる。今日は少しネガティブに過ぎるな、と思い湯船に湯を張ることにした。

 

200404

ZOOMで会話しながら #MU2020 を観た。

当日のことはこの辺に詳しい。のか?

twitter.com

note.com

note.com

 

正直今まで、配信イベントとか投げ銭に対してそこまで興味がなかった。MOGRAがやってるのは知ってたし、遠隔イエーガーとか見てて面白いなと思ったことはあるけど自分の生活には必要では無かったし、何もきっかけがなければ観なかっただろう、と今回思った。

 

少し前からフジロックも一部のアーティストを配信するようになって #おうちでフジロック みたいなタグが生まれていたり、コーチェラの配信のぞいたり、音楽イベントの配信というのはそれなりに市民権を得てきたタイミングなのか、と思ったりもした。MOGRAに関しては以前からやっていたことであるし、DOMMUNEなんかもそう、元々こういった文化に触れていた人からすればそこまで新鮮味がなかったという意見も頷ける部分がある。

 

www.cllctv-jp.com

 

ただ、今回なぜ自分が楽しかったかというと、そこには確かに現場があったから、なのではないか。それまで配信で大盛り上がりなんかしたことなかったのに、だ。

 

いや、大盛り上がりしたことなかったのに、というのは嘘になる。

YouTubeのプレミア公開で感想をTwitterに投げたり、解釈を拡大していけばドラマなんかを観ながら思ったことをつらつらTLに投げるリアル感(バルス!
とかまさにそれである)、サッカー観戦だってそうだ。

 

当日は今セキュリティホールでやんややんや言われているZOOMで主に名古屋の人たちと遠隔飲み会をしながらの視聴。みんな画面の中で踊ったりいつの間にか寝落ちる奴がいたり(家だから)、全く喋らない人もいたりで意外と楽しかった。これが毎日がいいとは言わないけど。あと、投げ銭システムは知ってる人の名前が出てきたりするとやはり楽しい。別件だけどshin sakiuraのリリーススタジオライブのときに思ったのは、金額と名前が出ることのプラス面とマイナス面。

 

名前と金額が出ると射幸心みたいなものが煽られて、どんどん投げてしまう人もいるだろうなと思った。これはクラブで酒を奢る感覚と同じ。あと、YouTubeのスパチャとかではマウントに使われてそうだなと思った。これは完全な偏見です。マイナス面としては、例えば今みたいな状況で収入が、、とかバイトが、、、みたいな人たちが後ろめたさみたいなのを感じることもあるのかなと思ったりした。この辺は議論してみたい。

 

一晩終えてみて、抱いた感想はやっぱ現場やな、ということ。

 どうしても現場でできない、行けない、今みたいな状況なら仕方がない。

でも結局、体を動かしたいし、自分にとってはライブというのは身体的な体験を伴う空間であることに違いはない。このまま隔離分断が続いて、半年も現場を感じることできなかったら自分はどうなってしまうのだろう、と若干の恐れを抱いた。

 

200330

もし、この2〜3週間の間に自分の収入が変わらず、財布から出て行くお金が減ったと感じている人がいるのであればそれは今困窮している人のところに回るはずだったお金なのかも知れない、ということを思った。

 

以前アルバイトをしていた自転車屋であるCirclesが営業方針を表明している。

circles-jp.com

 

代表の田中さんには散々お世話になり、経営者として、ローカルに貢献する人としての考え方を常に聞かされていたことは間違いなく今の自分の糧になっていると思う。大学生のうちにそういった話をしてくれる大人はとても少ない(自分が出会わなかっただけかも知れないが)。

 

自転車屋のみならず、その他の販売店、レストラン、ギャラリー、シアターなどは全て地元の経済に必要不可欠なのです。 もし家で暇を持て余しているのであれば、自分のお金がどこでどのような形で使われているのかを今一度考えてみるのもいいかもしれません。 そして、この非常事態が終わってから、自分が住んでいる街がどのようになってほしいかを考えるのもいいのではないでしょうか? 地元のコミュニティーにおいてまだ経済が回っているのであれば、できれば地元を支援し、あなたのお金をその地域コミュニティーで使ってみてください。”

 

ローカルや、友達、自分の愛すべき人たちが困窮することだけは見ていたくない。うちわでお金回してでもなんでもいいから、とにかく助けたい。「普通」に戻った時にそれがないことは考えたくない。

 

「ローカルにお金を落とす」ことをいつもぼんやりとしか考えていなかったけど、それは地域的なローカルだけでなく文化的なローカルに対してもそうであるべきだとここ数日とても強く感じている。

docs.google.com助成金が全てではないが、悩んだ末署名した。

そもそも、今回はっきりしたのはロビー活動は非常に大事だということ、政治家は票田のおじいさんたちのことを考えていること、そして想像力が欠如していること。あまり普段政治に対するスタンスを表明したりはしないし、どちらかといえば保守的な頭ではあるものの声を上げるべきタイミングで声を上げるということは躊躇っている状況ではないと感じた。ぶつくさ文句言ってても始まらないのだ。

 

幸い、自分の今就いている業界に関しては今回の影響はマイナスにはならない。むしろプラスというか、必要不可欠な部分もある。業界の旧態依然とした働き方やいつまでも先手を取って動くことのできないもどかしさを感じながらも我々の社会的意義は生産し続けることだと強く思う。頭の片隅で、自分の楽しみである音楽やアウトドアに目を向けつつ自分のできることをまずはやらねばという思いが強い。

 

何ができるのか?という永遠にも続くような自問自答に対して答えは一向に浮かばないので、取り急ぎバンバン金を払うようにした。馴染みの店には現金で。対した稼ぎではないが少なくともこの騒ぎで影響を受けない範囲で、なんとか回して、あわよくばそのうち戻ってくればいいというぼんやりとした考えである。

200322

社でTOEICを受け、梅ヶ丘quintetに向かう。

 

途中新宿で珈琲をしばく。茶をしばく、の語源について調べてみたがインターネットでは関西の俗語が広まったというニュアンスしか提供されない。無限に現れるアフィブログのタブを消しながら、どうした集合知よ、と思った

 

男と女の話は尽きない。たぶんずっと、この先しばらくは続くのだろう。分かり合える人々もいればそうでない人々もいるのだ。

 

梅ヶ丘についた。3回目くらいだけどなんとなく雰囲気にも慣れてきて、近所にこんな場所があったらいいなとは思うくらいに素敵な空間である。しょーごさんがやりたかったことを全身で感じ、日曜日なのにまあまあ酔って総武線で1人帰った。

 

大学の友達と、さよならするときに握手したりハグしたり絶対しないよな、と思ったのは後日。最近はすぐ接触してしまう気がする。

 

相変わらずコロナウイルスが猛威を振るう。もう東京も近くパンデミック状態になるのではないか。なにが正解かわからない。自分の身を守る、知り合いの経済を守る、身の回りの人を守る、全部同時に成立してほしい。とても歯痒い。

200320

渋谷、club asiaへ。

コロナウイルス云々で行動記録をつけておけ、不要な外出は避けろ、マスクはなんとかしろという弊社上層部のお達しにもそろそろ嫌気がさしてきて、久々に遊びに行こうと思った。

 

と言っても行くというのは前から決めていたことなので、特段構えず祝日の金曜日を過ごし電車に乗る。前飲みしたりしないと、どうしてもイベントにオープン直後から行くめちゃくちゃ楽しみな人になってしまう。

 

渋谷は休みの夜だというのに、いやに人が少なかった。先日、新宿でも感じたが本当に歩いている人がいない。飲食店はそれなりに人が入ってたりするところを見ると、くるやつは変わらず来るし距離があったりハードル高かったり、普段気合い入れてくるような層が来ていないのではないか、ということを思ったりした。

 

ドアを開けてエントリー払って、バーカンの前にスーさんとアリムラさんがいるので声を掛けに行く。ゼロではないがやっぱり人は少ない、多少戻ってきてはいるしキャッシュ回らなくなる恐れもあるのでイベントをやるしかないのだというニュアンスの話をした。それはそうだろう。どう考えてもイベント、ライブハウスを運営する人たちや出演することによって食っている人たちは”やるしかない”状態なんだろうと思う。結局、店やオーガナイザー側の対策なんてたかが知れているので来てくれる人の良識を信じて普段通りをやっていくしかない。そのためにも、行ける範囲で行き、遊べる範囲でお金を落としてくるのが自分にできることなのではないかと思ったりした。自分の体調、同居人や濃厚接触者たり得る人たちの体調、渡航の有無や感染が拡大している地域からの人との接触の可能性、いろいろなことを天秤にかける必要はある。それでも行きたいと思うなら行くべきだし、できるだけ普段通りのことをする、ということを少なくとも自分は続けていきたいと思った。

 

ひさしぶりな気がする明け方のラーメン王で、昨夜死んだことになっている某ワニの話をつらつらとした。これを書いている日曜日ですら色々言っている人の言葉がTwitterに流れてくるけど、結局、分断なのだ。慮ることを忘れてしまうと人は攻撃的になってしまいしかもその分断を取り戻せる状況になくなってしまうのではないか、と思った。

 

lo-fi hiphop問題もそうだけど、サブカル層は「俺たちのもの」感が一気に失われることに対してとても敏感かつ敵意をむき出しにしてしまう印象がある。バランスをとりながら大きくなっていくことはとても難しくて、最近それがうまくいってそうなのはchelmicoとかSIRUP、向井太一らへんしか思い浮かばないけどそもそもあの辺りは「俺たちのもの」枠ではなかったりするのかなと感じることもある。例えば自分が好きなものでめちゃくちゃメジャーになって嫌なものはあるか?と聞かれたときにパッと思いつくものはそんなに多くないけど、そうであっても好きなものは好きであれるようにしたい。まあ今回のワニは情緒とお気持ちの問題だけど。

 

 

 

 

 

200313

まるで澱のように気持ちが溜まっていく。

f:id:sho0414:20200313230224j:image

隣に座った人は、話を聞いてあげる風で結局自分の話をしたい人だった。もしかしたらそれは自分の思い込みかもしれない。ただ、人の好きなものを聞いておいて自分の自慢話はないだろう、と思った。良知さんのこと調べようとした検索ウィンドウに無料AVの4文字があったの、俺は気付いているからな。見て見ぬ振りは男の情けだ。多分あなたはそれなりに幸せな人生を送ってきて、若者に対して少し大きく出てしまうところがあるんだろう。結婚式の写真で某レコ屋のパロをやるのがそんなに楽しいか、と思ってしまったのは僻みだろうか。

 

隣の中国系の人は熱弁している。18から60までセックスできるとして、そのあとAVを眺めながら感傷に浸ることは絶対したくない、だから今やる、常に最高を求める、だから前の奥さんとは別れた、今の奥さんは怖いけど家は最高だ、家がなければ結婚する意味がない、話は尽きない。

 

帰り道に煙草を買ってしまった。止めようと思っていたのに。

200226

城戸あきこのライブを観に行った。

会場にはCICADAメンバーがほぼみんな居て、いや演れよ、みたいな気持ちもあったけど演らないのが彼らの選択なのだろう。実際、城戸ちゃんが歌ったCICADA時代の曲も最終期のふれてほしいだけだった。急に、このバンドはもう解散してしまったんだなという気持ちが湧いてきて遣る瀬無くなっていた。

 

昨年からだいぶ、気持ちを文章にするということを避けていたように思う。それは、身近に現れた人が感情の言語化が上手いことに起因して(気後れして)いるのかもしれないしただただ自分の気持ちから逃げているだけかもしれない。もっと内省的な内容を日記帳にでもつけていれば話は違ったのだろうか。

 

コロナウイルスが猛威を振るっている。

個人的には、ワクチンのない強力なインフルエンザウイルスが突然現れて(突然が故に)簡易的な検査法もないし治療法もないという認識でいる。世の中はどうもそうではなく、全て検査しろとかアオサでウイルスが死ぬとか、はたまた抗生物質の投与がどうこうといった話まで出てくる。抗生物質は抗真菌薬だ。ウイルスには効かない。ググって欲しい。インターネットが発達して集合知による解決や示唆が世の中を良くすると思っていたのは泡沫だったようだ。どうやらこの世界、特に日本においては声が大きくアホな意見ほどヒートアップして拡散されるらしい。学術的見地を踏まえた発信など、結局ある程度リテラシーを備えていないと享受されないのか。初めて自分が高等教育を受けていて良かったと思った。

 

 

CICADAのときもそうだったが、城戸ちゃんの歌は過去を無理やり引き摺り出してくる力がある。ライブを聴きながら突然懐かしさ、虚無に、襲われてしまう。それは求めていたことかもしれないし今は必要ないと思っていたことかもしれない。

 

自分を変えたい、少なくとも余計な心配をしないようになりたいと強く思った。自分が強かったのはいつだろうか。大学受験か。それとも、とりあえずでサークルズの門を叩いたあの頃か。FIX!!に参加したあの頃か。まだ27歳、もう27歳だと思う。今年は従兄弟も結婚する。ぐるぐる頭の中を巡らせて結局今日も東京から千葉へ帰る。